続き。

さっきの話の続きみたいな感じでw


他人の意見は、必ず自分の意見と違うところがある。
だから、他人の意見に触れるってことは多かれ少なかれ自分の意見と対立するところはある。
でもこれって「別人なら当たり前じゃん!」って話で。


自分と似た意見に触れたときに「正しい」と肯定したくなり、自分と違う意見に触れたときに「間違っている」と否定したくなるだけで、
「正しい」「間違っている」は全部絶対的なものではなく相対的なものなんだよね。


これが「否定するしないの問題じゃない」の理由。


それより、他人の意見を知ることで、
それがどんな意見であろうとそれは自分の意見に影響を及ぼし、
自分の意見は他人の意見に影響を及ぼす。
大事なのはそこなんだよなっ。


人は一人じゃ生きてゆけないから、必ず集団での協力が必要となる。
そのときに必ず意見の相違が発生するわけだ。
でも、協力するには意見を一つにまとめなきゃならない。


例えば生きてゆくのに不可欠な食べ物を作るときにね、
ある人は田んぼにしようと放水の準備をしている脇で、同じ場所を別のある人が畑にしようと耕していてもしょうがないわけよw


じゃあ、このときどうするか?それぞれの意見を言い合って、一つの妥協点を見出すしかない。意見をまとめるしかない。
これがσ(・д・*)が「もっともっと自分の意見を出していく必要性を感じてる」の理由。


話し合っても意見がまとまらない場合はどうするか?
田んぼにするか、畑にするかが決まらない。でも決めないと食料がなくなって全員死んでしまう。
こんな状況になったら、意見が合わない人から力づくで…時には殺すこともありえる。


生きていくために人を殺すこと―、戦争は、意見をまとめる方法の一つでしかない。
そして、このようなことから、戦争はもしかしたら人間という種の存続に役に立ってきたのではないかとも思う。


ちなみにさっきの田んぼと畑の話、食べ物を作れる場所って実際限られてるわけだから、
これからの人口爆発の時代には現実的な話かもしれないよね。