正直、

僕は、本当に恵まれて生まれてきたと思う。


日本という非常に豊かな国の、一般的な家に生まれて、ある程度の教育レベルのある親が居て、不自由なく教育を受けることができて、きちんと大学でも勉強させてもらえて。


世の中には、生きることに精一杯な人々がたくさん居る一方で、うぬぼれと言われるかもしれないけれど、僕なんかは、たぶん、ラクをして生きようと思えば、なんとか生きられちゃうんだと思う。
そこそこのお金を儲けて、それなりの娯楽を買って生活することは、日本の一般的な家に生まれた人にとっては、それほど難しいことじゃないように思える。


だから、僕はラッキーだ。
恵まれて生まれてきたから、ラクをしようとすれば、できちゃう。
そんな人生も、楽しいかも。


でも、一方で、そんな人生になんの意味があるんだろうって思う。
先人達が築いた富の上に乗っかって、教育を受けて、ラクをして、楽しんで、死ぬ。
それだけじゃ、何か寂しくはないか。僕はすごく寂しいと思う。


むしろ、これだけ恵まれて生まれたからこそ、できることがあるんじゃないか。
大学で学んだことを、お金儲けとか、自分がラクをするためだけに使いたくはない。


先人達が築いた富が、同時に環境・人口・貧困などの問題を内包しているのならば、その富に乗っかって生きてる僕らが、その富に乗っかって得た知識を使って、これらの問題を解決するべきなんじゃないか。
そして、何よりもそうすることが、自分がこの時代のこの場所に生まれてきた意義を生むんじゃないか。


これから2〜30年先の未来を中心となって担うのは、僕らの世代。だったら、その未来を変えていけるのも、僕らの世代だろう?
先人達が築いた富の上に乗っかって、のうのうと生きたところで、死んだら、その人は結局、この世に居なかったことになるんじゃないか。


もちろん、未来を変えるのは、そう簡単じゃないと思う。
だけど、こういう風に思って僕がアクションを起こすことが、ほんの少しだけでも、世の中の歯車を動かしてくれるんじゃないか。


だらだらと、そんなことを思う、夜明け前です。